2016年11月25日

京浜急行のホームドア設置を急ぐよう、国土交通省との交渉で訴えました

 11月10日、共産党の神奈川県委員会が各省庁と要望にもとづく交渉を行いました。国土交通省の交渉では転落事故あいついで起こるなか、ホームドアの設置が急がれることも要望の1項目となりました。私も京浜急行のホームドアの設置を急ぐように指導・援助を、と発言を行いました。 政府が10万人以上の乗降客のある駅で優先的に進めているということですが、乗降客が少ない駅でも、カーブにある駅、狭いホーム、階段部分ではすれ違うのもやっとという部分があり、視覚障害者にとって危険というのが現実であることを訴えました。国土交通省は、最近の転落事故を深刻に受け止めていて、技術的・財政的にも指導、援助を行っていくということでした。また、10万人以上の駅に限らず、地域の実情に応じて対応していくとも言われました。

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京浜急行ではドアの位置が車両によって異なるという技術的な要因もあって、設置が遅れています。三浦海岸駅で、1年間行われている「どこでもドア」の実証実験は、国土交通省鉄道局の鉄道技術開発費補助金の支援を受けて行われるものです。私もこの実証実験を三浦海岸駅に見に行ってきました。

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ドアの位置を関知して、開けるドアを変えるような仕組みになっています。京浜急行電鉄は2020年までに横浜駅や京急川崎駅など主要5駅にホームドアを導入する計画ということです。小さい駅でもホームが狭いところでは転落の危険が高いのですから、一刻も早く導入が進むように市民の声を上げていく必要があると思います。


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2016年10月30日

金沢区9条の会で「沖縄の基地問題を知ろう」と題してつどい

 地元金沢区の9条の会で行っているつどい、今回は安倍政権による基地建設の暴挙が行われている情勢の中、「沖縄の基地問題を知ろう」ということで、これまでの沖縄の闘いの映像の視聴が中心でした。
 冒頭に、沖縄の基地建設反対の闘いに参加してきたかたからの現地報告がありました。ゲート前での座り込みなどの状況が話され、建設強行の背景には、基地ができれば、自衛隊も利用ができ、自衛隊を海外に派遣していくことにつながっていく狙いがあることが指摘されました。まさに安倍政権による安保法制=戦争法の強行と一体に沖縄での基地建設が強行されているということです。

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 ビデオ映像は、2004年から毎日続いた座り込みの闘いの記録が見られました。感想、意見では、私も最近読んだ沖縄における性暴力の文章に衝撃を受けたことを発言しました。大戦中から差別されていた沖縄では本土ではあからさまに行えないような慰安婦の”利用”が存在していたこと、敗戦の前から米軍による暴力が始まり、返還前には現在よりひどい状態があり、売春のための施設が作られていたこと、そうしたことがあったからこそ、新たに基地が作られれば性暴力が決してなくならない、ということが実感としてあり、それが現在の粘り強い闘いの1つの背景となっているのではないか、と話しました。
 つどいにはたまたま沖縄出身の女性も参加していて、沖縄の人から見た基地問題、沖縄差別の問題などをはなしてくれ、それが参加者の沖縄への理解を深めることになりました。「沖縄の人たちは、日本国憲法と売春防止法のある日本への復帰を望んだのだ」という発言が印象に残りました。
 会場に集まっていた35人あまりのひとたちには、今の沖縄基地押しつけに反対する闘いに心から連帯していこうという気持ちがあふれたのではないかと確信します。
posted by 明石ゆきお at 23:43 | Comment(0) | 活動日記

2016年09月04日

介護サービスへの不満を言いたいというかたを訪問しました

しばらくこのブログの更新を中断していましたが、再開したいと思います。
先日、介護保険、サービスに不満をもっているというかたから金沢区の 「くらしの相談室」に連絡があった方を訪問しました。
他の政党の議員にも連絡したが、まともに対応してくれなかったので共産党に連絡をしたということでした。
要介護度2で、介護サービスを受けているが、食事の支援の時間が1.5時間から1時間に減らされたこと、介護保険や利用料が引き上げられ、電動車いすのレンタル費用も引き上げられ、不満を持っているということでした。介護制度が発足したときからの利用者さんなので、どんどん改悪されてくるという実感をお持ちでした。

 介護制度の改悪については新聞では読んでいたものの、実際の利用者のかたから話を聞くのは初めてです。食事の支援が1.5時間から1時間になるとどう変わるのか?
 とにかく食事はふだんの生活のなかで最も大きな楽しみなので、食事くらいはゆっくりとりたいのだ、と言われます。1時間ではまったく余裕がなく、話もできないということです。昼と夜が同じものだったり、毎日同じものが出てきたりするという不満も言われていましたが、余裕のないことと関係があるのかもしれません。入れ替わりいろいろな人がくくるので、連携が不十分で、食材が無駄になってしまうこともある、というのは、介護サービスのなかで改善ができることかもしれません。
 介護サービスに従事しているひとに同行してもらったので、「ケアマネージャや事業所に言えば改善できることもあるかもしれない、それでも時間の短縮とか利用料の値上げなどは国の政治の問題なので、政治を変えることが必要、そのためにも共産党を大きくして頑張りたい」、と話しました。
 訪問して感じたのは、介護はまさに生活であり、そこでサービスを切り詰めるというのは生活への大きなしわ寄せを伴うのだと言うことです。要介護1,2といえば、国の政治でさらなる改悪が狙われている対象です。生活をしている利用者の立場に立って切り捨てを許さないたたかいのために、こうした訪問で得たことを生かしていかなければならないと思いました。

厚労省審議会 サービス見直し提起

posted by 明石ゆきお at 18:04 | Comment(0) | 活動日記

2015年08月16日

原水禁広島大会に参加してきました

 8月4日から6日で開かれた、原水禁大会広島大会に参加しました。大会への参加は初めてのことです。
 開会総会、若者のつどい、分科会、資料館の見学、70周年の記念式典、閉会総会と密度濃く参加し、たいへん得ることの多い大会でした。

 開会総会では、先だって行われた国際会議で議論された到達点としての文書が発表されました。ここでは、今年4〜5月に行われたNPT再検討会議が最終文書を採択することができなかったものの、準備段階で初めて核兵器禁止条約が明記されたこと、「核兵器使用の人道的結果」にNPT締結国の8割をこえる159カ国が賛同するなど、人道的立場から核兵器禁止を求める声が、核保有国を追い詰める状況になっていることが示されました。
 これまで私はNPT核不拡散条約について、核兵器保有国の特権をゆるす不平等条約のように考えてきましたが、世界政治では、NPT条約の第6条の核保有国の軍縮義務を履行するように求める要求が高まってきたのだと知りました。また、核兵器の非人道性ということがキーワードとして言われていることから、日本の原水禁運動の果たしている役割の大きさを考えさせられました。
 開会総会では様々な人が発言をしました。
 マリアナ諸島から参加されたかたは、エノラ・ゲイが自国から飛び立って原爆投下をしたこと。米軍が沖縄からグアムに移転してくることを話し、二度と自分たちの土地を戦争のために使われたくない、と話しました。
 宝田明さんがビキニ水爆実験のとき、この日本からこの恐ろしい兵器について世界に発信しなければならないという思いで、映画「ゴジラ」が作られたことを話してくれました。政府の戦争法案の動きに対しても、安倍首相は多くの人が反対しているのだから、”白旗をあげたほうがいい”と話し、喝采を浴びました。

 1日目の夕方には若者の集いが開かれ、参加しました。青年の参加者は被曝の体験を聞くことを重視して取り組んでいました。このつどいでも、被団協の事務局長の田中さんが参加して、被曝の実相を聞き、質問をしたり感想を語ったりしました。田中さんが辛いことはなんだったかと聞かれ、「自分は体が丈夫で、原爆投下後の広島を歩いても病気にならなかった。細胞の破壊を修復する力が強かったからだと思う。それでも不安はいつもあった。初めの子供が死産したときには、自分のせいではないかと解剖をしてもらい、他の原因だとわかった。2人目の子供も異常がないかと不安だった。被爆者はつねにそういう不安から逃れられない」と淡々と語ったことが印象に残りました。

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 多くの若者が、自分の経験、戦争反対の決意を話しました。高校生が気負わず、自分の言葉で、戦争を許さない、自分にできることで頑張る、と話したのに感動しました。

 2日目の分科会は、「被爆の体験の継承と実相普及」に参加しました。広島の被爆者の吉岡さんが体験を話してくれました。中学校2年生だった吉岡さんは空襲での延焼を防ぐ建物疎開の作業を行い、作業日をきめるためにじゃんけんでグループを分け、6日の作業にはじゃんけんで負けたグループが行うことになり、その人たちは即死し、吉岡さんは重症を負ったものの、生き残ったということです。体が回復をしていっても、じゃんけんで23名の人たちを死なせたという思いが離れなかったそうです。被爆者の苦悩のたいへん大きなものが、多くの人が亡くなった中自分が生き残ったということ、そして自らは社会からは差別をされるということだといいます。
 フランスで平和運動をしている人のお話も印象的でした。
 フランスでは原爆被爆の実態はほとんど知られておらず、フランス政府は核抑止論の立場だといいます。NPT会議でも、核兵器禁止条約を盛り込むことを妨害しました。国民は7割が核抑止論に賛成でありながら、核兵器廃止に政府がイニシアチブをとることに8割が賛成という矛盾した意見を持っているといいます。フランスからは今回25人で大会に参加し、フランスの子どもたちが折った鶴を原爆の子の像にささげるイベントを行いました。
 医師の斉藤氏が被爆者の疫学調査、医学的知見もふまえた報告をしてくれました。
  斉藤氏は、この会議の大切なひとつのテーマは「核兵器の非人道性」だといい、まず広島への原爆投下が、空襲警報が解除された広島に戻ってきたB29によっておこなわれたこと、原爆の殺傷能力を正確に知ることが原爆投下の大きな目的であったことを話しました。投下後のアメリカによる被爆地の調査活動によって得られた人への被害のデータは長年トップシークレットだったそうです。殺傷能力の把握のためにたくさんの人が一瞬にして亡くなったということを忘れてはならないと思います。

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 斉藤氏の、爆心地から1kmほどで30日〜40日で亡くなっていく人の体に起こっていたことの説明は衝撃的でした。骨髄中にバクテリアが発生し、本来は貪欲に攻撃するはずの白血球が攻撃の能力を失っている。このような人間のまさに骨の髄から能力を奪う兵器が非人道的でなくてなんなのでしょう。
 そして生きながらえた人々を襲った第2の惨劇は、10年後にいたっても一片の救済の法律も作らなかった政府によるものです。そうした中、ビキニの水爆実験が起こり、それを契機にして1954年に第1回の原水爆禁止世界大会が開かれました。1954年から55までに集められた署名の数は3200万!今ではとても考えられないような数です。
 1955年、原爆投下による精神的損害に対する慰謝料をもとめた下田原爆裁判が提訴されました。訴えは棄却されたものの、原爆投下を国際法違反だとし、大きな成果を上げ、原爆の非人道性の訴えは1996年ハーグ条約に実ることになったといいます。
 具体的な事実を知ることによって被爆の実相、核兵器の非人道性をつかみ、広めていくことが重要だと、斉藤医師の話から考えました。

 分散会の後の時間は原爆資料館、原爆の子の像などの見学で過ごしました。原爆の子の像に全国から、世界から折り鶴が捧げられ、花が手向けられる、そこに込められている平和への願いを感じることができました。

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 3日目は平和記念式典に参加しました。開会前から多くの人が集まり、会場はいっぱいになりました。悲惨な原爆の被害は二度と起こさせてはならないという願いがこのように大きく集まっていることに胸がいっぱいになりました。広島市長、被爆者代表が核抑止論を乗り越えて核廃絶へ取り組む決意を述べました。対する安倍首相の挨拶はなんと空虚だったことでしょう。非核三原則にふれず、核兵器廃絶への法的措置など世界的運動の到達点からかけ離れたものでした。
 その後、広島大会の閉会集会が開かれました。
 うつ伏せのまま治療を受けていた背中が焼けただれた被爆者が、治療をしてくれた医師と再会し、生きていてよかったと言われ、今では街頭で訴えているという話しにも感動しました。
 首相との懇談では黒い雨の拡大、核兵器禁止条約にも首相は応えようとしないことに怒りが募りました。
 次々に経験、決意が語られ、閉会総会の最後では、神奈川の金沢区からの参加者の発言が大いに会議を盛り上げました。

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 会議全体のなかで原水禁運動にたいする大局的な認識を得ることができました。原爆を使用したアメリカが被爆の影響に関する情報を管理してきたことなどから、被爆の悲惨な実態、核兵器の非人道性がなかなか国際的な認識にならない時代があったこと、そのなかで被爆の実相を訴え続けた被爆者を先頭とした日本のとりくみが世界に広がり、国際社会を動かす力となってきたことが語られ、署名運動を含む日本の運動の果たしてきた役割に確信を持つことができました。
 また非人道的な兵器は廃絶されるべきだということを、核兵器について考えることが決定的に重要だということも、今回の大会参加で考えさせられました。 
posted by 明石ゆきお at 17:24 | Comment(0) | 活動日記

2015年07月18日

”戦争法案”強行採決後、街頭が変わってきました。1時間で134筆もの反対署名が集まりました。

今日は衆議院での戦争法案強行採決後初めての街頭宣伝を金沢八景駅で行いました。戦争法案反対の区内の共闘の実行委員会の主催です。

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30人近くが参加し、24日に近くのダイエー前の姫の島公園で開催する集会&パレードへの参加も訴えました。
強行採択後という中で、これまでで最高のビラの受け取り、署名の数になりました。
1時間あまりで580枚ものチラシが受け取られ、署名も134筆集まりました。

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学校が近いこともあり、その多くは若者です。高校生も2,3人で署名に応じてくれ、向こうから近づいて署名してくれます。関心の高さが感じられました。ある高校生は、「僕は自衛隊に行きたいと思っている。国を守るために働きたいから。でもアメリカのための戦争には参加したくない」と言います。ある女性は「これまで家族で自民党に投票してきたが、だまされた気がする。これからは戦争法反対の党に投票する」と言います。

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戦争法案への反対の声は広がっています。そして強行採決は許せないというなかで60日間ルールがあろうと2度と強行採決ができないような世論を作るために、このような宣伝を続けていきたい。

posted by 明石ゆきお at 00:55 | Comment(0) | 活動日記