
小西先生は学生時代にドイツ語の先生として知ることになりました。
ドイツ語の授業ではたいへん厳しい方でした。ファウストの訳書も残されています。
小西先生のことで忘れられないのは、昼休みだったか、被爆者としてのご自分のことから核廃絶のことについて学内の広場で演説されたときの事です。
普段はハンドマイクなどで学生自治会等がしゃべっていても注目される事はなく、こもごもにおしゃべりなどをしている校内が、小西さんの演説が始まり、しばらくすると静まり返り、校舎の窓などからも演説に注目が集まったのです。話の内容は覚えていないのですが、その情景を忘れる事ができません。
ご自分の経験に基づき、情熱を持って語られる原爆の被害の話に、政治的に無関心な学生をも引き込まれていった一瞬でした。
被爆者団体の事務局もやられてた小西先生。核拡散条約再検討会議で核廃絶のことを目標に掲げようという運動がまさに行われているその最中での訃報。再検討会議での希望ある議論を聞けなかったのは残念であったでしょう。ご冥福をお祈りします。