4月24日付けのしんぶん赤旗にドイツ文学者小西悟さんの訃報がありました。
小西先生は学生時代にドイツ語の先生として知ることになりました。
ドイツ語の授業ではたいへん厳しい方でした。ファウストの訳書も残されています。
小西先生のことで忘れられないのは、昼休みだったか、被爆者としてのご自分のことから核廃絶のことについて学内の広場で演説されたときの事です。
普段はハンドマイクなどで学生自治会等がしゃべっていても注目される事はなく、こもごもにおしゃべりなどをしている校内が、小西さんの演説が始まり、しばらくすると静まり返り、校舎の窓などからも演説に注目が集まったのです。話の内容は覚えていないのですが、その情景を忘れる事ができません。
ご自分の経験に基づき、情熱を持って語られる原爆の被害の話に、政治的に無関心な学生をも引き込まれていった一瞬でした。
被爆者団体の事務局もやられてた小西先生。核拡散条約再検討会議で核廃絶のことを目標に掲げようという運動がまさに行われているその最中での訃報。再検討会議での希望ある議論を聞けなかったのは残念であったでしょう。ご冥福をお祈りします。
2015年04月27日
小西悟さんの訃報に接し、学生時代の小西先生の演説の記憶がよみがえりました
posted by 明石ゆきお at 23:46
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| 活動日記
当時は確か94,5年の教養課程学生でしたが、大教室での映画論?の講義で、ご自身の被爆経験を、恰も魂の叫びの如く熱く語られていた先生のお声と姿は、今でも明瞭に思い出します。
山住前総長も、英語でお世話になった光延名誉教授も、私の卒業後程なく鬼籍の方となられました。
当時は索漠としていた南大沢も、先生方の面影も、今はただ懐かしいです。