2015年08月28日

『こんにちは明石ゆきお』をアップします。日本共産党横浜市議団は7日、「神奈川地方最低賃金の大幅引き上げを求める申し入れ」を神奈川地方最低賃金審議会長などに行いました。

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日本共産党横浜市議団は7日、「神奈川地方最低賃金の大幅引き上げを求める申し入れ」を神奈川地方最低賃金審議会長の盛誠吾氏および神奈川労働局長の若生正之氏あてに行いました。
申し入れで、大貫団長は最低賃金を引き上げて横浜の景気をよくしていきたいと語り、あらき議員は若い人が自立して生活できるようになれば少子化対策にもなると述べました。

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2015年08月20日

『こんにちは明石ゆきお』をアップします。横浜市教委・育鵬社教科書採択に対して党市議団が声明「市民の信頼に足る教科書を」を出しました

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横浜市教育委員会は5日、市立147校の中学生が来年度から4年間使う教科書の採択を行い、歴史と公民には前回に引き続き育鵬社版を採択しました。日本共産党横浜市議団は6日、今回の教科書採択は意図的で不透明であるため無効であり、情報公開を徹底し、市民の信頼に足る教科書採択を実施できるよう、採択をやり直すべきとの声明を発表しました

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2015年08月16日

原水禁広島大会に参加してきました

 8月4日から6日で開かれた、原水禁大会広島大会に参加しました。大会への参加は初めてのことです。
 開会総会、若者のつどい、分科会、資料館の見学、70周年の記念式典、閉会総会と密度濃く参加し、たいへん得ることの多い大会でした。

 開会総会では、先だって行われた国際会議で議論された到達点としての文書が発表されました。ここでは、今年4〜5月に行われたNPT再検討会議が最終文書を採択することができなかったものの、準備段階で初めて核兵器禁止条約が明記されたこと、「核兵器使用の人道的結果」にNPT締結国の8割をこえる159カ国が賛同するなど、人道的立場から核兵器禁止を求める声が、核保有国を追い詰める状況になっていることが示されました。
 これまで私はNPT核不拡散条約について、核兵器保有国の特権をゆるす不平等条約のように考えてきましたが、世界政治では、NPT条約の第6条の核保有国の軍縮義務を履行するように求める要求が高まってきたのだと知りました。また、核兵器の非人道性ということがキーワードとして言われていることから、日本の原水禁運動の果たしている役割の大きさを考えさせられました。
 開会総会では様々な人が発言をしました。
 マリアナ諸島から参加されたかたは、エノラ・ゲイが自国から飛び立って原爆投下をしたこと。米軍が沖縄からグアムに移転してくることを話し、二度と自分たちの土地を戦争のために使われたくない、と話しました。
 宝田明さんがビキニ水爆実験のとき、この日本からこの恐ろしい兵器について世界に発信しなければならないという思いで、映画「ゴジラ」が作られたことを話してくれました。政府の戦争法案の動きに対しても、安倍首相は多くの人が反対しているのだから、”白旗をあげたほうがいい”と話し、喝采を浴びました。

 1日目の夕方には若者の集いが開かれ、参加しました。青年の参加者は被曝の体験を聞くことを重視して取り組んでいました。このつどいでも、被団協の事務局長の田中さんが参加して、被曝の実相を聞き、質問をしたり感想を語ったりしました。田中さんが辛いことはなんだったかと聞かれ、「自分は体が丈夫で、原爆投下後の広島を歩いても病気にならなかった。細胞の破壊を修復する力が強かったからだと思う。それでも不安はいつもあった。初めの子供が死産したときには、自分のせいではないかと解剖をしてもらい、他の原因だとわかった。2人目の子供も異常がないかと不安だった。被爆者はつねにそういう不安から逃れられない」と淡々と語ったことが印象に残りました。

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 多くの若者が、自分の経験、戦争反対の決意を話しました。高校生が気負わず、自分の言葉で、戦争を許さない、自分にできることで頑張る、と話したのに感動しました。

 2日目の分科会は、「被爆の体験の継承と実相普及」に参加しました。広島の被爆者の吉岡さんが体験を話してくれました。中学校2年生だった吉岡さんは空襲での延焼を防ぐ建物疎開の作業を行い、作業日をきめるためにじゃんけんでグループを分け、6日の作業にはじゃんけんで負けたグループが行うことになり、その人たちは即死し、吉岡さんは重症を負ったものの、生き残ったということです。体が回復をしていっても、じゃんけんで23名の人たちを死なせたという思いが離れなかったそうです。被爆者の苦悩のたいへん大きなものが、多くの人が亡くなった中自分が生き残ったということ、そして自らは社会からは差別をされるということだといいます。
 フランスで平和運動をしている人のお話も印象的でした。
 フランスでは原爆被爆の実態はほとんど知られておらず、フランス政府は核抑止論の立場だといいます。NPT会議でも、核兵器禁止条約を盛り込むことを妨害しました。国民は7割が核抑止論に賛成でありながら、核兵器廃止に政府がイニシアチブをとることに8割が賛成という矛盾した意見を持っているといいます。フランスからは今回25人で大会に参加し、フランスの子どもたちが折った鶴を原爆の子の像にささげるイベントを行いました。
 医師の斉藤氏が被爆者の疫学調査、医学的知見もふまえた報告をしてくれました。
  斉藤氏は、この会議の大切なひとつのテーマは「核兵器の非人道性」だといい、まず広島への原爆投下が、空襲警報が解除された広島に戻ってきたB29によっておこなわれたこと、原爆の殺傷能力を正確に知ることが原爆投下の大きな目的であったことを話しました。投下後のアメリカによる被爆地の調査活動によって得られた人への被害のデータは長年トップシークレットだったそうです。殺傷能力の把握のためにたくさんの人が一瞬にして亡くなったということを忘れてはならないと思います。

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 斉藤氏の、爆心地から1kmほどで30日〜40日で亡くなっていく人の体に起こっていたことの説明は衝撃的でした。骨髄中にバクテリアが発生し、本来は貪欲に攻撃するはずの白血球が攻撃の能力を失っている。このような人間のまさに骨の髄から能力を奪う兵器が非人道的でなくてなんなのでしょう。
 そして生きながらえた人々を襲った第2の惨劇は、10年後にいたっても一片の救済の法律も作らなかった政府によるものです。そうした中、ビキニの水爆実験が起こり、それを契機にして1954年に第1回の原水爆禁止世界大会が開かれました。1954年から55までに集められた署名の数は3200万!今ではとても考えられないような数です。
 1955年、原爆投下による精神的損害に対する慰謝料をもとめた下田原爆裁判が提訴されました。訴えは棄却されたものの、原爆投下を国際法違反だとし、大きな成果を上げ、原爆の非人道性の訴えは1996年ハーグ条約に実ることになったといいます。
 具体的な事実を知ることによって被爆の実相、核兵器の非人道性をつかみ、広めていくことが重要だと、斉藤医師の話から考えました。

 分散会の後の時間は原爆資料館、原爆の子の像などの見学で過ごしました。原爆の子の像に全国から、世界から折り鶴が捧げられ、花が手向けられる、そこに込められている平和への願いを感じることができました。

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 3日目は平和記念式典に参加しました。開会前から多くの人が集まり、会場はいっぱいになりました。悲惨な原爆の被害は二度と起こさせてはならないという願いがこのように大きく集まっていることに胸がいっぱいになりました。広島市長、被爆者代表が核抑止論を乗り越えて核廃絶へ取り組む決意を述べました。対する安倍首相の挨拶はなんと空虚だったことでしょう。非核三原則にふれず、核兵器廃絶への法的措置など世界的運動の到達点からかけ離れたものでした。
 その後、広島大会の閉会集会が開かれました。
 うつ伏せのまま治療を受けていた背中が焼けただれた被爆者が、治療をしてくれた医師と再会し、生きていてよかったと言われ、今では街頭で訴えているという話しにも感動しました。
 首相との懇談では黒い雨の拡大、核兵器禁止条約にも首相は応えようとしないことに怒りが募りました。
 次々に経験、決意が語られ、閉会総会の最後では、神奈川の金沢区からの参加者の発言が大いに会議を盛り上げました。

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 会議全体のなかで原水禁運動にたいする大局的な認識を得ることができました。原爆を使用したアメリカが被爆の影響に関する情報を管理してきたことなどから、被爆の悲惨な実態、核兵器の非人道性がなかなか国際的な認識にならない時代があったこと、そのなかで被爆の実相を訴え続けた被爆者を先頭とした日本のとりくみが世界に広がり、国際社会を動かす力となってきたことが語られ、署名運動を含む日本の運動の果たしてきた役割に確信を持つことができました。
 また非人道的な兵器は廃絶されるべきだということを、核兵器について考えることが決定的に重要だということも、今回の大会参加で考えさせられました。 
posted by 明石ゆきお at 17:24 | Comment(0) | 活動日記